2009年8月28日金曜日

いまでは大人の財力が・・・

魔術師オーフェンの未収録作品集が出るそうです。
http://www.tobooks.jp/akitabox/
なつかし・・・。書き下ろし5編+αで7,350円って、高い。箱ついてるけどソフトカバーで、要は文庫本5冊。本3冊、って考えても高いです。発行元は富士見書房では無いし。何かあったのでしょうか。まぁでも、昔の小中学生も、いまや立派な社会人!大人の財力で一発解決!

 オーフェンっていうと、もう十年くらい前になりますね。友達がハマってて、全巻そろえてたのを思い出します。全編ギャグの短編集と、シリアスな長編があって、設定資料集も、短編版と長編版と二種類出てた。友達と4人くらいで、池袋のアニメイトで買ってきて透明カバー掛けたのが、まだ本棚に残っている。捨てていなければ。
 あのシリーズの魅力って何だろう。私は短編のほうが好きで、長編はあまり覚えていないけど、短編は、破天荒な主人公と楽しくて迷惑な仲間たち的な展開。お約束は、誰も死なないこと。キャラクターは全体的に頑丈だった印象がある。ツッコミのかわりに魔法で吹き飛ばすのが当たり前、という世界観だったから、当然かな。長編の方で世界の設定や基本事項をきちんと整えた上で、ギャグを書くのは短編のみ、という相互補完の関係がうまくいっていたと思う。長編ではシリアスな展開でつき進めるし、ギャグでは思うさまはっちゃけられる。確か、主人公は共通だけど、出てくるキャラクターは、越境して登場するのと、短編長編どっちかにしか出て来ないのがいた。ここら辺の差別化で、どっちのファンも安心して読めたのかな。
 友人は、もう売っちゃったんだろうか。まだ持ってたら、読んでみたい気もする。友達は長編好きだったなぁ。うろおぼえだけど、私は短編限定キャラの、魔法使いの執事が好きだった。敬語が好きなのは、ひょっとしたら、そのせいかもしれない。同時期にはやっていた、フルメタルパニックは長編も読んでいたけど、オーフェンの長編を読んでいなかったのは、現在私がSF好きなのと関係があるのかもしれない。
 読者だった当時は、物語のキャラクターは軒並み年上で、憧れる存在だったわけだが、キャラクターたちの年齢を追い越した今、私は当時の私に憧れられるような存在になれたんだろうか。少なくとも今では、あんなもんフィクションだし、と、当時の憧れを切って捨ててしまえる。でも、切って捨てられるからって、当時の私より成長したとは思わない。フィクションへの憧れを捨てることが、成長とは思わない。それは認識の変化であって、成長ではない。もう、ずいぶん変わってしまったし、これからも変わっていくのだろうけど、フィクションに憧れた時の、純粋な気持ちを、感じることはできなくなっても、思い出せるようには、しておきたい。

Re: Cat Talking, Translation

猫好きって、どうして「猫が人間を欺いている」という妄想が好きなんだろう・・・。
猫が、人間より自分が上だ!という態度をとっているのが、たまらなく魅力的に感じるからなんだろうな。

アテレコってCMとかで昔あったけど、楽しいから好き。
わざとらしい“みゃーお”が、おっさんくさくて良いなぁ。



舐める音は若干きもいけどw
二人ともすごく美猫なのに、声がおっさんというか男らしい。
ギャップ萌えだなぁ~。

2009年8月7日金曜日

同性婚、賛成。

私は、同性だろうがなんだろうが、他人を、人として共に生きていきたいと思えることは素晴らしいと思っています。
そういう感情って、人間にとって大切なものだと思う。もし、自分と同じ性別の相手だから、という理由で、そういった感情が抑圧されて、なかったことにされてしまうのは、悲しい。打ち消して消えるものではないし、ましてや世間体のために好きでもない人と共に生きるのは、苦痛だと思う。
できれば、世の中の人みんなが、自分の好きな人と、共に生きたいと願う人と、一緒に生きていけるようになればいい。誰かが好き、という気持ちを、みんなが大切にして、お互い伝えあえるような、そんな世界になったらいいな。人の言葉がこんなに発達したのは、誰かに誰かが、好きだよ、って伝えること、そして伝わった時の快楽が、とても大きいからじゃないかと思う。だったら、自分の好きを、自由に伝えあって、お互い同じ気持ちだったら、その気持をはぐくむことを、制度的にも容認して、応援できる社会がいいなぁ。
まぁ、婚姻でなくても、社会的に婚姻と同等程度の保証とか・・・。

邪魔すると、馬に蹴られるというし。

2009年8月2日日曜日

信仰

昨日、旧約聖書を読んでいたら、ちょっと怖かった。儀式のやり方とかめっちゃ細かく決まっていて、しかも、ちゃんと守らないと呪われるよ、みたいなことが書いてある。キリスト教って、もっと優しげで緩やかで、神はいつでもあなたを見守っておられますよ。そんな宗教かと思っていた。どうやら聖書を読むと、優しいだけではないらしい。だって脅してるんだもん。脅しじゃないのかもしれないけど、私は脅しだと感じた。

宗教持ってる国とそうでない国は、根本的に違うなぁって思います。アメリカ大統領は、聖書に手を置いて就任を誓う。日本だったら古事記に手をおいて誓うようなものかな。今の日本人には、その誓いの“重さ”や感覚は理解できない。国として信仰を持っていないから。少なくとも私はきっと、死んでも理解できないと思う。

信仰は人の心を支えるけれど、信仰を持たない人や、違う宗教・宗派の人と、決定的な違いを生んでしまう。自分と自分の宗教に属している人と、そのほかの人との間の明確な線引きが生まれる。違いが生まれるからこそ、人は信仰を持つのかもしれない。信仰でつながる仲間意識や所属している感覚は、個人の意志に従うことを上回る快楽や安心感を、与えてくれるのかもしれない。人が一人で生きていくには、この世は辛すぎると感じた時、人には信仰が、ないしは信仰による所属意識、“あなたは一人ではない”という感覚が必要になる。

世界には割り切れない謎が多すぎる。自分の出自や性別、越えられない壁、理不尽な選択をせざるをえない状況。そもそもなんで人は死ぬのか?とか。なぜ?を受け止めてくれるのが宗教かなって思う。

日本は国家的な信仰が無いけど、ないならないで、なぜ?を受け止める社会的な下地を作ってほしい。宗教教育はタブー視されてるけど、世界にどんな宗教があるかとか、宗教戦争のそれぞれの言い分とか、歴史とか、そういうの、義務教育で教えてほしい。無信仰だからこそ、どんな宗教のことでも平等に教えられる。いろいろ見て勉強して、信仰を持つか、無信仰を貫くか、選択肢があるのが、信仰がない日本の良いところになればいい。そんな信仰の持ち方はタブーって言われるとどうしようもないけど。